時計ブランド、有名モデルの歴史や誕生背景を探っていくと、新たな魅力を発見することが出来ます。今回ピックアップしたのは、パテックフィリップ。世界3大時計ブランドの一角であり、王者とも称されれる最上級クラスの時計ブランドです。
目次
- パテックフィリップとは?
- パテックフィリップの歴史をざっくり俯瞰
- 創業期|パテックとフィリップの出会い
- 作るフィリップと売るパテック
- 複雑機構の開発へ
- 世界恐慌で迎えた経営的ピンチ
- クォーツの開発に着手
- ノーチラス登場!デザインは近代化へ
- 超複雑機構が7億円超えで落札
- まとめ
本文中、画像はパテックフィリップ公式サイトより引用:
https://www.patek.com/ja/
↑ 動画でもご覧いただけます。
パテックフィリップとはどんなブランドなのか
パテックフィリップは、創業時より『世界最高の時計を作る』という理念のもと、180年に渡り、多くの名作を世に送り出してきました。
1996年にはスイス・ジュネーブのプラン・レ・ワットに本社工場を新設。デザイン、設計、製造、検査、マーケティング、ユーザーコミュニケーション、流通などすべてを統合し、時計作りを行っています。
パテックフィリップのクオリティを語るうえで、有名なのはパテックフィリップシール。
これには、スイスウォッチに多く用いられるスイスクロノメーター認証という精度規格よりも厳しく、ムーブメントのみならず、ケーシング後の本体、そして外装パーツにまで、並々ならぬ厳格な基準が設けられています。
その基準をクリアするためには、パーツ一つ一つを研磨して面取り加工する必要があったり、バックルのクリック音にまで基準が設けられていたり。一つのムーブメントを製造するために、実に32もの職種の人間が携わり、1,500もの工程を踏む。ケースの製造においても、20人の職人が関わって、ようやく完成するそうです。
2019年の新作は、もちろんこのパテックフィリップシールが与えられており、パテックフィリップの時計であることイコール世界最高品質の時計であることが保証されています。
このような現在の凄さを知っている方は多いかと思いますが、昔はどうだったのか。凄すぎるブランド故、意外と知らないものですよね。
というわけで今回は、パテックフィリップの歴史についてお送りします。
パテックフィリップの歴史をざっくり俯瞰
さて、歴史が長いブランドなので、先にざっくり俯瞰して見てみましょう。
まずは、19世紀中盤からの創業期。ここでは二人の男の出会いがあり、時計作りと販路拡大が同時に行われていきます。
そして20世紀前半は、複雑機構の開発とともに、デザインへのこだわりが見られるように。さらに20世紀後半では、最新技術と伝統工芸との融合が図られています。
現在は5大陸・70か国以上の国に、約600店舗の専門店が展開され、世界中の時計ファンが憧れる最上級の時計ブランドとなっています。
創業期|パテックとフィリップの出会い
では、それぞれ詳しく見ていきましょう。パテックフィリップの創業は1839年。元ポーランド軍将校のアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックと、フランソワ・チャペックの二人により、前身となるパテックチャペック社が設立されました。
二人は1835年よりスイスに移住し、高級懐中時計を販売。後にオーダーメイドでの受注を可能にしたことで、時計店として本格的に開業することとなります。
ちなみにパテックフィリップという名称になるのは、ここから10年以上後のこと。1851年です。なぜ突然フィリップ?と思いますよね。この名称には、パテック氏とある時計師との出会いがあります。
パテック氏は、1844年に行われたパリの博覧会に参加。その際、ジャン・アドリアン・フィリップという時計師と出会います。ジャンは、若干21歳で自社工房を立ち上げ、年間150個の懐中時計を製造販売している腕利きの時計師でした。
1844年の博覧会で、彼は自ら発明した、リューズで巻き上げと時刻調整が出来る懐中時計を出展。パテック氏は、この技術を高く評価し、彼をパテックチャペック社に迎えることとなります。
そして1851年。ジャンが本格的に経営にも参加することとなり、パテックフィリップと社名を変更。これが王者パテックフィリップの伝説の始まりとなりました。
作るフィリップと売るパテック
以降、作るフィリップと、売るパテックというコンビで、世界展開が行われていきます。
フィリップ氏と組んだことにより、品質の高い時計の製造が可能になったことで、パテック氏は売ることに専念できるようになります。
かねてから、時計作りの技術と同じくらい、ブランドとしての立ち位置作りを気にしていたパテック氏。ブランドの名前を広めるために選んだステージは、1851年にロンドン・クリスタルパレスで行われた第一回万国博覧会でした。
その選択は見事に当たり、ヴィクトリア女王をはじめとする、世界の指導者たちから高い評価を得ることに。
そしてその勢いに乗り、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、中国へと販路を広げるとともに、ローマ教皇やチャイコフスキーなどにも愛用され、高い名声を獲得することに成功しています。
パテックフィリップは、創業初期から、時計作りとともにマーケティング戦略にも長けていたんですね。
複雑機構の開発へ
さて、世界中に販路を築き、多くのファンを獲得したパテックフィリップ。新しい時計の開発にも弾みをつけ、1905年~1927年までに複数の複雑機構を発表しています。
5つのゴングを搭載し、15分毎にメロディを奏でるクォーターリピーター。5分単位で音によって時間を知らせる5minリピーター。腕時計タイプのスプリットセコンドクロノグラフ。100年間日付の調整が不要なパーペチュアルカレンダー搭載の腕時計。そして、目覚まし時計。
音を奏でるリピーター機構と、ミレニアム単位で調整が不要なパーペチュアルカレンダーは、現代においても3大複雑機構に数えられる偉大な技術です。
スプリットセコンドクロノグラフも、それに次ぐ複雑さを持つ技術です。パテックフィリップは、今もなお、この3つの機構を得意とし、2019年にも複数の新作を登場させています。
1929年 世界恐慌で迎えた経営的ピンチ
さて、ここまで追い風の中、成長を続けていたパテックフィリップですが、1929年の世界恐慌にはさすがに耐えきれず。経営的なピンチを迎えることとなります。
しかしながら、『世界最高の時計を作る』という理念には賛同者が多かったのでしょう。その経営権は、当時文字盤メーカーとして成功していたスターン兄弟の手に渡り、ブランド理念の存続は保たれました。
当時新社長に就任したジャン・フィスターは、その理念にデザインという新しい視点を加え、数々の名作を生み出すことになります。
1932年。新生パテックフィリップが発表したモデルは、実に斬新なものでした。現在も発売が続いているモデル・カラトラバです。
超シンプルな時計ですよね。これのどこが斬新なのか。それは当時の時代背景にあります。1930年代初期というのは、バウハウスやアールデコといった形式で、デザインというものが身近になった時代です。
その時代のアンティークウォッチを調べてみると、オメガやロンジンなどの有名ブランドものの多くは、装飾が施された文字盤を使っているものが一般的だったことがわかります。
そのタイミングで、この超シンプルなカラトラバが登場。逆説的ですが、当時の人々からすると、こっちのほうが真新しいデザインだったというわけですね。
ちなみにカラトラバの名称にも使われている、こちらのカラトラバ十字というエンブレム。これはもともと12世紀~15世紀に活躍したスペイン・カラトラバ騎士団のエンブレムです。
パテックフィリップは、彼らの勇姿に敬意を表し、カラトラバ十字を自分たちの時計のシンボルマークとして掲げるようになりました。
1940年代 クォーツの開発に着手するも
話を戻して、1940年代後半。パテックフィリップが次なるチャレンジとして行ったのは、なんとクォーツ時計の開発でした。
クォーツというと、日本のブランド・セイコーのイメージが強いですが、セイコーはクォーツ時計を腕時計サイズに小型化し、量産体制を作ったメーカーであって、世界初のクォーツ時計を作ったのはまったく別の人達。イギリス国立物理学研究所とアメリカのベル研究所による共同開発によるものでした。
機械式ではなく、電力によって動く時計作りには、パテックフィリップも早々から着手。1948年より、エレクトロニクス部門を立ち上げ、クォーツウォッチの開発をスタートし、1953年には置時計の製造に成功しています。
ロレックスのエクスプローラー1やサブマリーナなどが誕生したのと同じ時期、すでにクォーツ式に目を付け、開発を進めていたというスピード感には、素直に脅かされますね。
その後、1969年にはセイコーがクォーツの腕時計化、量産化に成功し、クォーツショックと呼ばれる革命が起こるわけですが、パテックフィリップは特に影響がなかったのか、1968年~70年代にかけて、立て続けにヒット作となる機械式の時計を2本リリースします。
一つ目は、ゴールデン・エリプス。エリプスは楕円形という意味ですが、古代より理想的なサイズ比率とされてきた黄金率を取り入れたデザインウォッチです。
そしてもう一つは、ドレススポーツウォッチの先駆的モデル・ノーチラスです。
1972年 ドレスポの雄・ノーチラスが登場!デザインは近代化へ
ノーチラスは、1972年にジェラルド・ジェンタ氏によってデザインが起こされ、その後1976年に製品化されました。
クォーツショックの時代に発表されたこの2モデルは、現在も発売が続いており、ノーチラスには後に複雑機構のモデルも追加されています。
その後、1978年には現在の名誉会長フィリップ・スターン氏が社長に就任。伝統工芸と時計との融合が図られていきます。特に七宝と彫金の素晴らしさには、ただただため息しかでません。とにかく美しい。その一言ですね。
超複雑機構が7億円超えで落札!
1989年には、現代における機械式ムーブメントの最高峰と称される、キャリバー89を発表。直径88.2mm、厚さ36.55mm、重さ1,100gと、腕時計サイズではありませんが、32個もの機能が搭載された超複雑機構ムーブメントとして、たった4つのみ、市場へと流通しました。
2004年、世界的なオークションで660万スイスフラン(約7億2,600万円)で落札されたことは、有名な話です。
キャリバー89の発表で、経営者が変わりながらも『世界最高の時計を作る』という理念に揺らぎがないことを証明したパテックフィリップ。1996年には、年次カレンダーの特許を取得します。
年次カレンダーは、30日と31日の月を自動的に判別するため、日付けの調整が必要になるのは1年に1度のみ。3月1日だけです。
90年代には、ゴンドーロやTwenty-4などの、ジェムセッティングが施されたモデルも登場しています。
そして、21世紀に入ってからも、パテックフィリップの工房からは、傑作と呼ばれる数々の時計が生み出されています。
まとめ
以上、パテックフィリップの歴史について、見てきました。最後にジェムセッティングというか、宝石の選定基準について、少し補足しておきます。
冒頭で触れた品質基準・パテックフィリップシール。宝飾モデルで使用するダイヤモンドにも厳格な基準が設けられています。
それが『内包物なし』という基準。
さらりと言うのは簡単ですが、パテックフィリップのダイヤモンドは、外側にも内側にも傷や内包物がない、フローレス&インターナル・フローレスというグレードのものが使用されています。
このグレードは、トップジュエラーでも、市販品に使用することがないと言われており、ここにも世界最高の時計を作るという理念があるわけです。
さらにさらに、正規店と呼ばれるブティックにまで、専門知識、洗練された雰囲気など、厳格な基準が設けられています。
実際に訪れてみるとわかりますが、完全に別格です。ロレックスの正規店であれば、さらっと入れてしまいますが、パテックフィリップの正規店はそうはいきません。
アワーグラスさんにしても、スフィアさんにしても、生半可な気持ちでは、扉を開けることすらできない雰囲気が漂っています。
時計作りの技術やデザインはもちろん、店舗にまでしっかりこだわり、世界最高を貫いている点、皆が憧れ、至高のブランドと称える所以なのでしょうね。
2019年の新作については、別の動画にてまとめておりますので、そちらもぜひご覧になっていただければと思います。というわけで、本日はパテックフィリップの歴史についてお送りしました。